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OpenAIのナビエ・ストークス証明を巡って数学者が揉めている論点を整理した

いけさん目次

OpenAIは2026年9月8日、社内の未公開モデルが3次元ナビエ・ストークス方程式の有限時間爆発を証明したと発表した
166ページの論文PDFと、証明支援系のLeanによる形式化リポジトリが同時に公開されている。
その約12時間前、ニューヨーク大学のTristan Buckmaster氏がAnthropic所属のLevent Alpöge氏との共同研究3本(多孔質媒体の1本はMatei Coiculescu氏も共著)を公開し、あわせてOpenAIとのやり取りを記した声明を出していた。
この1週間、数学者はこの経緯と証明の扱い方を巡って揉めている。OpenAIは9月10日、9月8日の発表前2か月にBuckmaster氏がCodexへ送ったプロンプトは今回の結果に影響し得なかったと調査結果を公表した。

OpenAIが証明したと言っている内容

ナビエ・ストークス方程式は、粘性のある流体の速度と圧力の時間変化を記述する偏微分方程式で、天気予報や航空機設計の数値計算に使われている。
クレイ数学研究所が2000年に賞金100万ドルを付けたミレニアム懸賞問題「ナビエ・ストークス方程式の存在と滑らかさ」は、3次元で滑らかな初期状態から出発した解が、有限時間で速度が無限大に発散する「爆発」を起こしうるかを問う。
問題文を書いたプリンストン大学のCharles Fefferman氏は、公式の問題記述で次の4つのうちどれか1つを証明すれば解決と定めている。

選択肢空間外力示すこと
(A)全空間なし滑らかな解が永遠に存在する
(B)周期境界なし滑らかな解が永遠に存在する
(C)全空間滑らかな外力あり滑らかな解が有限時間で破綻する例がある
(D)周期境界滑らかな外力あり滑らかな解が有限時間で破綻する例がある

OpenAIの論文の定理1.1は、任意の正の粘性について、静止した流体に空間と時間について有限の範囲でしか働かない滑らかな外力を加えた解を構成したと述べている。
この解は運動エネルギーが有界のまま、時刻1で速度が非有界になる。
論文は(C)を解いたとし、系10.6で周期版の(D)も導いている。
クレイ問題でいう外力なしの(A)(B)は対象にしていない。

同時に公開された57ページのオイラー方程式の論文は、粘性ゼロの場合について外力なしで速度勾配と渦度が発散する解を構成したとしている。こちらは懸賞問題の対象ではない。

先にやっていたBuckmaster氏とCórdoba氏ら

Buckmaster氏の声明によれば、この「滑らかな外力を使って爆発を作る」方法は、マドリードのDiego Córdoba氏とCUNEF大学のLuis Martínez-Zoroa氏が数年かけて開発してきたものだ。
両氏は粗い外力の下で3次元オイラー方程式の爆発などを構成している。Buckmaster氏は、LLMを使って滑らかな外力と3次元オイラーまで広げたと書いている。
9月7日に公開した3本は、非圧縮多孔質媒体方程式、2次元ブシネスク方程式、3次元非圧縮オイラー方程式それぞれについて、滑らかな外力の下での有限時間爆発を示し、Leanで形式化済みとしている。

同氏の説明では、Alpöge氏との共同研究は両者の雇用先と関係のない個人的なものだ。
道具はAnthropicのClaudeとOpenAIのCodexで、Codexでは主にGPT-5.6 Solを使い、Astraは執筆と議論の確認にだけ使った。費用は自分の研究費から払っていた。
1年近く進みは遅かったが、8月15日にブシネスクとオイラーの爆発が得られ、8月22日にLeanで検証が通った。
ちなみに最初にLLMが出した証明は「読んだ中で最もひどいもの」で、それ以降は人が読める形に直す作業に追われていたという。
また、粘性の効き方を弱めた「低散逸ナビエ・ストークス」でも爆発が得られていると思うが、Lean検証が終わっていないため公開しないとも書いている。

Terence Tao氏は9月7日のブログ記事で、Córdoba氏らの手法を「低周波の解に高周波の小さな補正を繰り返し足していき、外力を小さく保ったまま解を大きくする」構成だと解説している。
そのうえで、Alpöge氏とBuckmaster氏の改良はナビエ・ストークスにも広げられる可能性が高く、技術的に込み入った点は多いが近い将来に完成してもおかしくないと評した。Tao氏自身も細部の違いはまだ把握しきれていないと断っている。

双方の時系列

OpenAIは9月1日に噂を聞いて着手したと説明し、Buckmaster氏は自分たちの情報がOpenAIに届いた後に最初のプロンプトが送られたと書いている。

日付出来事出典
8月15日Buckmaster氏とAlpöge氏がブシネスクとオイラーの爆発を得たBuckmaster声明
8月22日同結果のLean検証が通ったBuckmaster声明
8月28日OpenAIの新モデルの学習が始まったOpenAI発表
8月末「Anthropicが大問題を解いた」という噂が出回ったBuckmaster声明(OpenAI発表は「ミレニアム問題2件が解けた」という噂)
9月1日OpenAIが噂を聞いてミレニアム問題への取り組みを始めたOpenAI発表
9月3日Buckmaster氏が自分たちの進捗がOpenAIに伝わったという話を聞き、OpenAIの数学者にメールしたBuckmaster声明
9月5日OpenAIの約1万のAIエージェントが88時間でナビエ・ストークスの証明に到達したOpenAI発表
9月6日OpenAIのSébastien Bubeck氏らとBuckmaster氏が2回通話し、OpenAIから証明の存在と2つの提案が伝えられたBuckmaster声明
9月7日深夜Buckmaster氏が3本の論文と声明を公開したBuckmaster声明
9月8日OpenAIが発表し、同日Bubeck氏が記者会見したOpenAI発表、Scientific American
9月11日クレイ数学研究所が「問題は解決されたようだ」と声明を出したClay

Buckmaster氏は声明で、9月6日の通話で「forced」と聞いた瞬間にはっきりした危険信号だと感じたと書いている。
滑らかな外力で(C)(D)を狙う方法は自分たちとCórdoba氏らのほかにほとんど誰も取り組んでいなかったし、問題文をモデルに与えただけで数日で出てくるものでもない、と説明している。
最初のプロンプトをいつ送ったのか尋ねても、すぐには答えがなかった。最終的に、OpenAI側は「ここ数日、我々の仕事の情報がOpenAIに届いた後」だと認めたという。
同時に「私は誰も告発していない。言われたこと、時期、提案されたことを述べているだけだ」と念を押している。

OpenAI側は、9月1日に噂を聞いてから取り組みを始めたのは事実だが、公開まで相手の成果は一切見ておらず、証明は独立に得られたと説明している。
TechCrunchが引用したOpenAIの声明は「彼らの仕事をどんな手段でも公開前に見ていない」としつつ、「可能性は低いが、製品利用から得た非識別化データがモデル改善に寄与した可能性は排除できない」と付け加えている。
Quanta Magazineの取材では、OpenAI側もAlpöge氏とBuckmaster氏が懸賞問題を解いたという噂に触発されて動いたことを認めている。

Codexに入れた下書きと学習データ

Buckmaster氏らは1年近く、下書きをすべてOpenAIのCodexのセッションに入れて作業していた。
9月6日の通話で、OpenAIのモデルが自分たちのセッションを参照したか、学習に使ったかを尋ねたところ、「モデルはユーザーデータを参照しない」とは言われたが、学習については答えがなかったという。

OpenAIの9月8日の当初声明は、製品利用から得た非識別化データがモデル改善に寄与した可能性を「排除できない」としていた。OpenAIは9月10日の更新発表で、9月8日の発表前2か月にBuckmaster氏がCodexへ送ったプロンプトは学習を含め今回の結果に影響し得なかったとする調査結果を公表した。
Bubeck氏は9月8日の記者会見で「彼らのプロンプトや証明を使ってモデルに指示していない」と述べた。OpenAIは9月10日のNew York Timesの取材でも、9月8日の発表前2か月のCodexプロンプトの影響は「categorically impossible」だと説明している。

数学者のAndreas Thom氏は9月9日の投稿で、未公開の数学研究が学習に使われたのか、解決過程で参照できたのかについて透明性が不足していると述べていた。
Buckmaster氏は9月8日の投稿で、顧客のデータを使って顧客を出し抜くのは倫理的なのかと問うた。OpenAIは9月10日に9月8日の発表前2か月のCodexプロンプトが結果に影響しなかったと結論づけたが、公式発表は調査の根拠となる記録や手順を示していない。

「人間の関与はほとんどない」という説明

9月6日の通話でOpenAI側はBuckmaster氏に1本のプロンプトを示し、「社内の研究モデルに問題文を与えただけ」と説明した。
Alpöge氏もBubeck氏から「very little human input」と聞いていた。
ところが通話の途中で、OpenAI側のメンバーが社内チャットでBubeck氏に訂正や補足を送ってきた。
Buckmaster氏は、社内チャットのやり取りからチーム全体が取り組んでいたことが分かったと書いている。示されたプロンプトも試行の一つで、最初は外力なしから始め、オイラーなど易しい問題からモデルに解かせていた。
また、示されたプロンプト自体をCodexに書かせ、計算資源も大量に使っていたと声明にある。

Bubeck氏はこれに対し、複数人が関わったのは事実だが、チームに流体力学の研究レベルの専門知識を持つ者はおらず、証明の数学的な部分を担当できた人間はいないので「ほとんどない」は正しい、と反論している

OpenAIの発表によれば、8月28日に学習を始めた未公開モデルを約1万のエージェントとして並列に走らせ、88時間で証明に到達した。OpenAIのGPT-6 AstraはLean形式化を17時間で終えた。
計算コストはQuantaの取材でBubeck氏が数百万ドルと見積もっていて、OpenAIは100万ドルの賞金は請求しないとしている。

Alpöge氏を著者から外す要求と「キャリア」発言

9月6日の通話でOpenAIは2つの提案を出した。
1つは、Buckmaster氏らがオイラーの結果を先に投稿し、翌日にOpenAIがナビエ・ストークスを投稿する。
もう1つは、オイラーを投稿した後、Buckmaster氏が単独で、社内モデルが解いたことを明記したナビエ・ストークスの論文を書く。
声明によればBubeck氏は2度、Alpöge氏を著者から外したいと言い、Alpöge氏がAnthropicに勤めていなければ全部単純なのに、と口にした。
Buckmaster氏が両方断り、提案どおりに発表するなら経緯を公にすると言ったところ、返答は「Why would you ruin your career?」だった。
自分は学者だ、なぜそれでキャリアが台無しになるのかと聞き返すと「If you don’t want me to be nice, then I don’t have to be nice.」と返された、と声明にある。

Bubeck氏はX上で、Alpöge氏を「彼ら自身の仕事」の著者から外すよう求めたことはなく、OpenAIの証明をBuckmaster氏が主著者として書き直す件を議論していたと説明している。Anthropic社員がOpenAIの社内プロジェクトに入るのは無理がある、という趣旨だったとしている。
「キャリア」の発言については、極めてまずい言葉選びだったと謝罪し、その場で撤回したという。
Sam Altman氏もXで「出し抜きの物語」を否定し、相手が連絡を取ってこない中でも急いで公開しなかった、逆に相手側から根拠のない盗用の非難で脅されたと投稿している

Institute for Advanced StudyのPeter Sarnak氏はこの件について「こういう駆け引きは聞いたことがない。数学者らしく振る舞った彼を称賛する」とNew York Timesに語っている
通話で何が言われたかについて、Buckmaster氏の声明とBubeck氏の説明は一致していない。

外力ありの証明と外力なしの問題の差

クレイの問題文は(C)(D)の証明を解決と認めているので、形式上はOpenAIの主張が要件を満たす可能性がある。
外力ありでは、爆発する流れを先に決めておいて、方程式の残差を外力と定義することができる。
OpenAIの論文自身がそう書いていて、その残差を最後まで滑らかに保つところが難しい、と第2節で説明している。
外力なしの場合はこの方法が使えないので、流体が自力で爆発する解を作ることになる。

Fefferman氏はQuantaに対して、問題が解けたことに「thrilled」だと言いつつ、境界のない設定では「おかしなことをしているのは流体そのもの」だと述べている。
9月8日にはプリンストン大学のStan Palasek氏が、外力なしのナビエ・ストークスでは粘性によるエネルギー損失が、離れた周波数の不安定性で解を大きくするこの構成の増幅を上回るはずだとTao氏に指摘し、Tao氏がそれを歓迎した。

Leanが保証するのは、形式化された命題が公理から導かれることだけだ。その命題がFefferman氏の問題文の条件を漏れなく写しているかは、人間が読んで確かめるしかない。

Tao氏の批判

Tao氏は9月7日の記事で、こうした研究の価値は人が理解できる数学的洞察にあり、それがなければナビエ・ストークスの正則性問題(滑らかさが保たれるかどうかの問題)は一般に言われるほど数学にとって本質的な意味を持たない、と書いている。

9月8日以降の投稿で、Tao氏は研究の進め方にも触れている。
噂を聞いた企業が巨額の計算資源を投じて先に結果を出そうとする動きが続けば、研究者は有望な方向を共有しなくなり、開かれた再現可能な科学の原則が成り立たなくなる、とTao氏は懸念している
失敗した試みや解決までの過程を伏せてプレスリリースだけ出すやり方も批判し、答えと並んで数学的洞察を評価する基準を求めている。

Buckmaster氏は声明で、数学者1人とLLMが1か月でここまでできるようになったことの意味を本当は語りたかったと書き、学生の育て方、功績の帰属、査読、何に人生の時間を使うかを、コミュニティが急がずに議論する必要があるとしている。
同氏はこれを「Deep BlueとKasparovの瞬間」と呼び、Martínez-Zoroa氏はフィールズ賞に値するとも述べた。
Córdoba氏はScientific Americanに「少しショックを受けている。本当にできたのなら大きな驚きだ」と語っている

引用漏れ

公開当初のOpenAIの論文には、Córdoba氏とMartínez-Zoroa氏の論文もAlpöge氏とBuckmaster氏の仕事も引用されていなかった。
EPFLのGonzalo Cao-Labora氏が参考文献の少なさを指摘し、9月8日中に改訂版でCórdoba氏らの論文が追加された。
手元で開いた改訂版の序論は、Córdoba氏とMartínez-Zoroa氏の外力つきオイラーの構成と、両氏がZheng氏と書いた低散逸ナビエ・ストークスへの拡張を「尺度をまたぐ増幅で外力の正則性を制御する戦略を確立した」と説明している。そのうえで、自分たちの構成では増幅される擾乱(小さな乱れ)の役割が違うと書いている。
Alpöge氏とBuckmaster氏の3本は、9月8日の改訂版でもまだ参考文献に入っていない。

クレイ数学研究所の対応

クレイ数学研究所は9月11日、ナビエ・ストークス問題が「apparently been settled」だとする声明を出した。
ただし声明は、規定に沿って何ができたかを調べ、誰の功績かを決める手続きは「deliberately unhurried」だと書いている。研究所が証明を確かめたとも、賞を授与したとも書いていない。
賞の規定では、原則として評価の高い査読付き数学出版物(理事会が認めた媒体も含む)への掲載後、少なくとも2年の精査を経て、数学コミュニティに広く受け入れられていることが審査に入る条件になる。
OpenAIのナビエ・ストークス論文は現時点ではPDFとプレプリント(査読前の論文原稿)として公開されている。懸賞問題の2年間の精査は、この論文がクレイの規定上の適格な出版物に掲載された後に始まる。

ITmediaの記事によれば、これまでミレニアム懸賞問題で解決が認められたのはポアンカレ予想だけだ。
クレイ問題の外力なしのナビエ・ストークスに当たる(A)(B)とは別に、Buckmaster氏は声明で、公開を見送った低散逸ナビエ・ストークスの結果が「外力なしのオイラーにつながる可能性を示すもの」だと述べている。
OpenAIは、ナビエ・ストークスの後に別のミレニアム懸賞問題でも大きな進展があったとして、共有の仕方を検討中だと述べている