月の基準時刻を決める決議案Dが10月のCGPMで採決される
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共同通信は2026年8月30日、地球とは別に月だけの時間を決める動きが本格化していると報じた。
月の基準時刻系を定義する決議案Dが、2026年10月13日から15日にベルサイユで開かれる第28回CGPM(国際度量衡総会)にかかっている。うるう秒の挿入を止める決議案Cと同じ総会で採決される。
ただ、決議案Dが求めているのは基準時刻系を1つに絞ることで、どれを採るかまで決める文面にはなっていない。
決議案Dが書いていること
決議案Dの表題は「月の国際基準時刻系の定義とUTCへのトレーサビリティについて」。
BIPM(国際度量衡局)が公開している第28回CGPMの決議案のバージョン5(2026年7月13日)に入っている。
トレーサビリティというのは、ある時計の読みをたどっていけば国際的な基準時刻に行き着くと示せる性質のことだ。
まず挙がっているのは、宇宙機関が月のPNT(測位・航法・時刻)システムを含む月面インフラに関心を持っている、という話だ。
そうしたシステムを互いに使い合うには、国際的に採用された基準座標系と基準時刻がいる。
そのうえで、IAU(国際天文学連合)が2024年の第32回総会でLCRS(月天球基準系)とその座標時TCL(月座標時)を定義し、TCB(太陽系重心座標時)からTCLへ相対論的に変換する式まで与えたことを挙げている。
IAUとIAG(国際測地学協会)、GPSなどの衛星測位システムをまとめて指すGNSSの国際委員会ICGがBIPMと組んで、月の基準時刻系とUTCへのトレーサビリティの検討に入っているとも書いている。
注記の側は2つ。
月面の高精度な用途にUTCをそのまま適用すると、一般相対性理論の効果で非常に複雑になるというのが1つ。
もう1つは、基準時刻系が乱立すると時刻付きデータをやり取りするときにあいまいさが生じるので避けなければならない、という話だ。
UTCをそのまま持っていくのも、天体ごとに好きな時刻系を作るのも、決議案Dは認めていない。
決議案Dは2026年1月13日の公開後に2回書き換わっている。
バージョン3(2026年3月30日)で、国際機関が定めた慣用値を使うという条件が入った。
BIPMがどこまで関わるかも、あわせて書き足された。
そしてバージョン4(2026年6月30日)の変更が、勧告の節にある「月の基準時刻系(複数)の実現」を「月の基準時刻系(単数)の実現(複数)」に差し替えるものだった。単数と複数を入れ替えただけに見える。
ただバージョン履歴には、実現の形は複数あってよいが基準時刻系は1つでなければならない、という決議案の狙いを反映させるため、と理由が書かれている。
IAUが2024年に定義したTCL
IAU 2024年決議2は、地球用のGCRS(地心天球基準系)を組み立てたのと同じ手順で月用のLCRSを作り、その座標時をTCLと呼ぶことを勧告した。
座標時は基準系の全体に共通して張った時間の軸のことで、実際にその場へ置いた時計が刻む時間とは別物になる。時計そのものが刻む方は固有時と呼ぶ。
LCRSの計量テンソル(時空の距離の測り方を決める量)と重力ポテンシャル、BCRS(太陽系重心天球基準系)との変換式は、2000年のIAU決議B1.3の式で地球に関する量を月に関する量へ置き換えたものと定められている。地球用の枠組みを、そのまま月へ読み替えた形になる。
| 基準系 | 原点 | 座標時 |
|---|---|---|
| BCRS(太陽系重心天球基準系) | 太陽系の重心 | TCB |
| GCRS(地心天球基準系) | 地球の重心 | TCG |
| LCRS(月天球基準系) | 月の重心 | TCL |
TCLの1秒はSI秒に合わせる。
原点は、月の中心でTCBが1977年1月1日0時0分32.184秒を指すとき、TCLもちょうど同じ値を指すと決めた。この日時はTT(地球時)、TCG、TCBが共有している値だ。
ただ決議の注記によると、TCLには他の時刻系との歴史的なつながりがないので、この原点は完全に任意で、具体的に決めるために置いただけになる。地球側と数字を揃えておいた、という以上の意味はない。
時刻系どうしのつながりを図にする。
graph TD
TCB[TCB<br/>太陽系重心座標時]
TCG[TCG<br/>地心座標時]
TCL[TCL<br/>月座標時]
TT[TT<br/>地球時<br/>TCGを定数倍したもの]
TAI[TAI<br/>国際原子時<br/>TTの実現]
UTC[UTC<br/>協定世界時]
TCB -->|地球の量で変換| TCG
TCB -->|月の量で変換| TCL
TCG --> TT
TT --> TAI
TAI --> UTC
1日56マイクロ秒と58.7マイクロ秒
月の時計が地球より速く進む量として、報道では56マイクロ秒と58.7マイクロ秒の両方が出てくる。
共同通信とNASAが挙げているのは56マイクロ秒で、一方アメリカのOSTP(科学技術政策局)が2024年4月2日に出した天体時刻標準化の政策メモは、月にいる観測者から見て地球の時計が1日あたり平均58.7マイクロ秒遅れると書いている。
数字が食い違うのは、比べている相手が違うからだ。
BIPMやパリ天文台、ベルギー王立天文台などの著者による月の基準時刻系の論文がMetrologiaに載っていて、時計の進み方の違いを表す比率、つまり平均の相対周波数差を天体ごとに整理している。
ちなみに火星の座標時TCM(火星座標時)はIAUがまだ正式に定義していないが、地球と月と同じ形で見積もれる。
| 比べる組み合わせ | 相対周波数差 | 1日あたり |
|---|---|---|
| 地球の地表の時計とTCG | −6.97×10⁻¹⁰ | −60.2マイクロ秒 |
| 月面の時計とTCL | −3.1×10⁻¹¹ | −2.7マイクロ秒 |
| TCGとTT | 6.97×10⁻¹⁰ | 60.2マイクロ秒 |
| TCLとTT | 6.8×10⁻¹⁰ | 58.7マイクロ秒 |
| TCMとTT | 5.8×10⁻⁹ | 501マイクロ秒 |
58.7マイクロ秒はTCLとTTの差だ。TTは地球の重心に置いた座標時TCGを定数倍した地球側の基準時刻系で、月の重心に置いた座標時TCLをこれと比べている。
一方、地球の地表に置いた時計と月面に置いた時計を直接比べると、座標時の変換ぶんに地表と月面それぞれの固有時のずれが加わり、合計で6.58×10⁻¹⁰、1日あたり約56マイクロ秒になる。要するに座標時どうしなら58.7で、地面に置いた時計どうしなら56だ。
論文はこの値をAshby and Patla、Kopeikin and Kaplan、Turyshevらの結果とも突き合わせている。
とはいえ、差は1つの定数では書けない。
論文が計算した地球の緯度経度(0度, 0度)と月の緯度経度(0度, 0度)の局の間で、固有時のぶんを含まない座標時変換だけを取り出すと、1日1.5マイクロ秒の直線的な増加に振幅127マイクロ秒の1か月周期が加わる。1か月かけて行って戻ってくる分だ。
月の座標時を計算するソフトウェアパッケージLTE440も、TCLとTCB、TDB(太陽系重心力学時)の間に振幅1.65ミリ秒の1年周期と振幅126マイクロ秒の1か月周期が出ると報告している。
LTE440が見積もったTCLとTDBの間の永年項、つまり時間とともに一方向へ増え続ける差は6.79835524×10⁻¹⁰。Metrologiaの論文が挙げた6.8×10⁻¹⁰と、別々の計算で同じ数字になっている。
そもそもTCG−TCBやTCL−TCBは、変換をどの位置で行うかによって値が変わるので、一意な関係式が書けない。
なお共同通信の記事は、受信時刻が1マイクロ秒ずれると位置は300メートルずれる、という桁で影響を説明している。
TCLを定数倍するかどうかの3案
Metrologiaの論文は、月の基準時刻TLを座標時TCLの一次関数、つまりTCLに定数の周波数オフセットを掛けた形に限ったうえで、選択肢を3つ挙げている。
オフセットをゼロにしてTCLをそのまま使う案、月の等ポテンシャル面(セレノイド)上の時計の固有時に平均の刻みを合わせる案、TTとの間に周期変動しか残らないように合わせる案。
そもそも座標時を定数倍すると、運動方程式と光の伝播の式の形を保つために、空間座標と天体の質量パラメータも同じ比率で直さなければならない。
IAUが現在認めている定数倍はTCBからTDBへの1つとTCGからTTへの1つで、ここに月用、火星用と足していくと、天体ごとに別の質量と距離の値がいる。
実際、論文は火星で3案目を採ると10⁻⁹規模の定数倍になり、実装を誤れば地球と火星の距離で数キロメートルの誤差が出ると見積もっている。
2案目には、月面の正確な時計がそのまま基準時刻を刻むという利点がある。
ただしそれが成り立つのは時計の確度が10⁻¹¹より良く、用途の要求が10⁻¹³より緩い場合に限られる。
10⁻¹³は月面の起伏によって固有時が場所ごとに変わる幅で、それより精密な要求があるなら、結局は基準へ合わせ直す処理がいる。おまけに月の基準となる重力ポテンシャル値がまだ存在しない。
論文の結論は1案目、つまりTL = TCLだ。
決議案Dも、細かく調べた結果として、定数倍しないTCLで月の基準時刻系に求められる科学の要求は満たせると注記に書いている。
とはいえ定数倍する案を潰してはいない。もしセレノイドに合わせる案を検討するなら、周波数オフセットはIAUやIAGのような国際機関が決めた慣用の重力ポテンシャル値から求め、原点はIAUが定めたTCLの原点に合わせるよう勧告している。
ちなみに論文は略称についても、LTは「Local Time」で使われているので月の基準時刻には使わない、と注を付けている。
アメリカが進めているLTC
一方、OSTPのメモが定めた名前はLTC(Coordinated Lunar Time)だ。
メモが各天体の時刻標準に求めた特徴は、UTCへのトレーサビリティ、精密な航法と科学を支えるだけの確度、地球との通信が途絶えても保たれること、地球と月の系の外へ広げられることの4つになる。
メモはLTCを、地球のTTに当たる理想的な時刻系を運用で使う形にしたものとして説明している。
地球にある原子時計の集まりがTTを実現するように、月面の時計の集まりが月の時刻を実現するかもしれない、という書き方だ。
そのうえで、UTCを補正なしで月の現地時刻系に使うと、メートルやキログラムの定義がSI秒の定義に依存しているため、基本単位の定義に不確かさが入り込むとも指摘している。
NASAは2024年9月12日の記事で、56マイクロ秒は光の速さで進めばアメリカンフットボール場168面ぶんの距離になる、と説明した。
そしてNASAは商務省、国防総省、国務省、運輸省と協力して、月の時刻標準化を実施するための最終的な戦略を2026年12月31日までに大統領府へ提出する。期限は10月のCGPMより後になる。
IAUとBIPMの文書が扱っているのは座標時TCLで、OSTPのメモが扱っているのは運用時刻LTCだ。
決議案Dは基準時刻系の乱立を避けると書いているが、LTCを名指ししてはいない。
NASAも国際標準化機関と連携すると書いていて、決議案Dの側も宇宙機関や国際機関と組んで進めることを挙げている。
地球との連絡で使う時刻
Metrologiaの論文は、月にいる人間が使う共通の運用時刻はUTCのままだろうと予想している。
地球側の管制との連絡が頻繁で重要になるうえ、そうした連絡では同期の誤差がまったく問題にならない場面が多いためだ。
論文は例として、軌道上のランデブーに向けた打ち上げ時刻を合わせるなら、機体ごとに違う時刻系を使うより管制センターとUTCで揃えた方が間違えにくいと書いている。その程度の時間幅で固有時の周期差を無視して生じる誤差は、他の理由でどのみち必要になる軌道修正に比べれば無視できる。
つまりTCLが決まったところで、月面にいる人間の時計がUTCからずれるわけではない。
ただし精密な地球と月の間の通信になると、TLとTTの周期項、つまり周期的に行き来する差の分と、通信リンクの伝搬時間の両方がいる。
そこで論文は、座標時変換の積分から来る周期項を標準的な形で利用者へ配信することを提案している。GNSSの航法メッセージがUTCと各GNSS時刻系の差を配信しているのと同じように、多項式の形で配る想定だ。
もっとも多項式の次数や有効期間、暦への感度、期待できる確度は、論文でもこれから詰めるとしている。
この配信が実現すれば、月面の機器は内部の基準をTLに合わせたまま、UTCで動いている地球の局と通信できる。