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アルテミス2が月の裏側を回ったのでラグランジュ点と月近傍の足場を見直す

いけさん目次

NASAのアルテミス2が月の裏側を回り、人類最遠到達記録を更新した。数字としては地球から252,760マイル、約406,800km。1970年のアポロ13号が持っていた記録を55年ぶりに抜いたことになる。

ただ、今回の飛行で印象に残ったのは記録そのものより、月の近くで人や物をどう回すのか、という話がまた現実に戻ってきたことだった。オリオン宇宙船の遅延も、ゲートウェイ宇宙ステーションの置き場所も、結局は月の近くにどこを足場として使うかの話につながる。ここでラグランジュ点が出てくる。

アルテミス2は月までの往復を人間込みで試す飛行だった

アルテミス2はまだ月面着陸ではない。月を回って帰ってくるだけ、と言えばそれまでだが、実際には「人を乗せた状態で月往復の運用が成立するか」を確認する飛行だった。

月の裏側では地球との通信が一時的に切れ、クルーは窓から月面を観測しながら、姿勢制御、生活設備、帰還まで含めた一連の流れを実地で試している。次の有人月着陸へ進む前に、まずここを通さないと話にならない。

クルーは次の4人だ。

クルー役割メモ
リード・ワイズマン船長国際宇宙ステーション長期滞在経験あり
ビクター・グローバー操縦士月周回飛行を行う初の黒人宇宙飛行士
クリスティーナ・コックミッション担当月ミッションに参加する初の女性
ジェレミー・ハンセンミッション担当月へ向かう初の非アメリカ人宇宙飛行士

飛行の流れはだいたいこうだった。

graph TD
    A["1日目<br/>フロリダから打ち上げ<br/>地球周回軌道へ投入"] --> B["2日目<br/>月へ向かう加速噴射<br/>自由帰還軌道に入る"]
    B --> C["3日目<br/>軌道修正<br/>船内設備トラブルに対応"]
    C --> D["4〜5日目<br/>機器確認<br/>宇宙服や居住性の評価"]
    D --> E["6日目<br/>月フライバイ<br/>月の裏側通過<br/>人類最遠記録を更新"]
    E --> F["7〜9日目<br/>地球へ帰還"]
    F --> G["10日目<br/>太平洋に着水予定"]

月の裏側を回る場面はロマン寄りに語られがちだが、現場の論点はかなり実務的だ。通信が切れる時間帯にどう振る舞うか、長時間の飛行で居住性は保つか、帰還時の熱防護が本当に持つか。アルテミス2はその確認を一つずつやっている。

遅れ方はかなり泥くさかった

アルテミス2がここまでずれ込んだ理由も、宇宙開発らしくかなり泥くさい。

2022年のアルテミス1では、オリオン宇宙船の耐熱シールドに想定外の損耗が見つかった。再突入で材料の一部が剥がれ、NASAはサンプルを採取して原因を洗い直した。アルテミス2では耐熱シールドを根本から作り直したわけではなく、危ない条件に入らないよう再突入の飛ばし方を調整している。だから本当の意味で評価が終わるのは、今回の帰還が無事に済んでからだ。

打ち上げ前には液体水素の漏れもあった。しかも場所は、アルテミス1でも問題になった接続部だ。さらに上段のヘリウム流量にも異常が出て、ロケットを組立棟へ戻して点検することになった。月へ行く計画というと未来っぽく聞こえるが、止めているのは配管と接続部とバルブの話でもある。

飛行中にもトイレ系統の不具合が出た。小便の処理に使うポンプと排出管で問題が起き、クルーは予備手段でしのいでいる。宇宙船の記事でこういう部分は軽く扱われがちだが、10日前後の有人飛行ではかなり大きい。推進、通信、電力だけでなく、人間がちゃんと過ごせるかも同じくらい重要だ。

アポロ計画より、むしろ次の交通整理に近い

アポロ計画との違いは、月へ行くこと自体が目標だった時代から、月の近くで活動を続ける前提に変わったことだ。

項目アポロ計画アルテミス計画
目標まず月へ行く月近傍で活動を続ける足場を作る
電源燃料電池太陽電池
体制ほぼ米国単独NASA、ESA、CSA、民間企業の分担
想定短期決戦補給と拠点を前提にした継続運用

アポロ計画は冷戦の競争としては圧倒的に強かったが、毎回の構成が重く、継続しにくかった。アルテミス計画は遅い代わりに、欧州宇宙機関やカナダ宇宙庁、民間の着陸船まで巻き込んだ分業になっている。月面に降りる話だけでなく、月の手前や月の裏側まで含めて、どこに拠点を置くかが最初から問題になる。

ここでラグランジュ点の話が効いてくる。

地球と月のあいだには5つの目印がある

ラグランジュ点は、地球と月のように2つの大きな天体があるとき、そのまわりで重力と回転のつり合いを利用しやすい場所のことだ。完全に止まっていられる点というより、宇宙機を置いたり、その近くの軌道を使ったりしやすい目印と考えた方が実感に近い。

地球-月系のラグランジュ点の模式図

地球-月系のラグランジュ点の模式図。L1とL2は地球と月を結ぶ直線上にあり、L4とL5は正三角形の頂点に来る。距離は実際の比率ではなく、位置関係が分かりやすいように調整している。

位置使いどころ
L1地球と月の間月へ向かう途中の中継、月近傍拠点の基準
L2月の外側月の向こう側、深宇宙側、通信中継
L3地球の反対側実用上はかなり使いにくい
L4月の進行方向側比較的安定しやすい
L5月の後方側L4と同じく比較的安定しやすい

L1とL2は一直線上に並ぶのでイメージしやすい。月へ向かう交通の結び目として考えやすいのもこの2つだ。L4とL5は地球と月とで正三角形を作る位置にあり、少しずれても踏みとどまりやすい。

ここで出てくるのは、いわゆる「三体問題」の中でもかなり条件を絞ったケースだ。『三体』のように3つの大きな天体が互いに引っ張り合って先が読めなくなる話ではなく、地球と月を主役にして、3つ目の物体はごく軽いものとして扱う。だから一般の三体問題そのものというより、制限三体問題の中で見つかる特別な点としてラグランジュ点を見た方が近い。

月探査で効くのはL1とL2の近くだ

月探査で特に重要なのはL1とL2の周辺だ。アルテミス計画で建設が進むゲートウェイ宇宙ステーションも、この近くの力学を使った軌道を前提にしている。

ゲートウェイが使うのはNRHO(準直線ハロー軌道)と呼ばれる月周回軌道で、月のL1やL2付近の性質を利用する。月面へのアクセスを取りやすく、必要な燃料も抑えやすい。月に直行して直帰するだけではなく、月の近くに一度足場を置いて運用する発想だ。

宇宙望遠鏡で有名なのは太陽-地球系のL2で、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡がいるのもそこだ。こちらは月探査とは別の系だが、L2が「大きな熱源や光源を一方向にまとめやすい場所」として使いやすいことは共通している。月探査でもL2がよく出てくるのは、月の向こう側や深宇宙側を扱いやすいからだ。

もちろん、月の裏側との通信は月軌道衛星でもできる。実際、月を回る中継衛星を複数入れれば通信網は作れる。ただ、低い月軌道を回る衛星を1機置いただけでは、その衛星自身も月の裏側へ回り込んで地球が見えなくなる。月の裏側の拠点と地球をできるだけ安定してつなぎたいなら、月の外側を広く見渡せる高い軌道やL2近傍の軌道を使う方が筋がいい。L2が通信中継の話でよく出てくるのはこのためだ。

数式で見るとL1からL3は滑りやすく、L4とL5は粘る

ここから少しだけ数式の話を入れる。言いたいことは単純で、L1からL3はちょっとずれると離れていきやすく、L4とL5は回転の効果でその場の近くを回りやすい、という違いだ。

2つの大きな天体のまわりを3つ目の小さな物体が動く問題は、制限三体問題として書ける。2天体と一緒に回る座標系で見ると、有効ポテンシャルは次の形になる。

Ueff(x,y)=GM1r1GM2r212Ω2(x2+y2)U_{\text{eff}}(x, y) = -\frac{GM_1}{r_1} - \frac{GM_2}{r_2} - \frac{1}{2}\Omega^2(x^2 + y^2)

ラグランジュ点は、この有効ポテンシャルの勾配がゼロになる場所だ。

Ueff=0\nabla U_{\text{eff}} = 0

L1、L2、L3は3つの天体が一直線に並ぶ解で、位置を厳密に求めると5次方程式に帰着する。質量比 μ=M2/(M1+M2)\mu = M_2 / (M_1 + M_2) を使うと、L1近傍では次の近似がよく使われる。

ξ(μ3)1/313(μ3)2/319(μ3)+\xi \approx \left(\frac{\mu}{3}\right)^{1/3} - \frac{1}{3}\left(\frac{\mu}{3}\right)^{2/3} - \frac{1}{9}\left(\frac{\mu}{3}\right) + \cdots

太陽-地球系でこれを使うと、L1とL2が地球からほぼ150万kmの位置に来る。数値そのものより大事なのは、この3点が不安定だということだ。山の尾根に置いたボールみたいなもので、少しずれるとそのまま離れていきやすい。

一方でL4とL5ではコリオリ力が効いてくる。

FCor=2m(Ω×v)\mathbf{F}_{\text{Cor}} = -2m(\boldsymbol{\Omega} \times \mathbf{v})

この力のせいで、物体はただ逃げるのではなく横に曲げられ、点の近くを回るような振る舞いをする。質量比が一定以下ならこの安定性が成り立ち、代表的にはラウス条件で

M2M1<12(12327)0.0385\frac{M_2}{M_1} < \frac{1}{2}\left(1 - \sqrt{\frac{23}{27}}\right) \approx 0.0385

と書ける。太陽-地球系も太陽-木星系も十分この条件を満たしているので、L4とL5のまわりには長期間ものが残りやすい。木星のトロヤ群小惑星が典型例だ。

ガンダムのサイド配置を見ると距離感がつかみやすい

ラグランジュ点の位置関係を日本語圏で一気に有名にしたのは、やはりガンダムだと思う。宇宙世紀ではスペースコロニー群であるサイドが地球-月系のラグランジュ点近くに置かれている。

サイド配置物語上の役割
サイド1L5近傍連邦寄りの生活圏
サイド6(イズマ・コロニーを含む)L4近傍中立圏。ジークアクスの舞台側
サイド3L2近傍ジオン公国の母体
サイド7L1近傍初代ガンダムの出発点

サイド3がL2寄りにある、という設定はかなりわかりやすい。地球から見て月の向こう側に近く、心理的にも政治的にも距離がある。独立色の強い拠点として置くと自然に見える。

L4も空気ではない。ジークアクスのイズマ・コロニーを含むサイド6がL4側にあると思うと、L4が「安定で理屈の上では重要」と言われるだけの点ではなく、ちゃんと生活圏として使われている場所として見えてくる。

現実の宇宙開発ではL2に望遠鏡が行き、月探査ではL1やL2近傍の軌道が拠点候補になる。フィクションと現実で使い道は違うが、月のまわりで交通や配置を考えると、このあたりが効いてくる点は同じだ。

アルテミス2のニュースで印象に残るのは、最遠記録を更新したことより、月の近くでどこを足場にするかがまた現実の計画として戻ってきたことだった。L1やL2の名前が、教科書ではなく実際の拠点候補として出てくるところが今の月探査らしい。